世界の壁は高く、厚かった。でも、そこまで遠くはないかもしれない。ーシッティングバレーボール世界選手権レポートー
ギークスの広報・サスティナビリティ推進チームのリーダーである佐々木が、11月4日から11日にかけてボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで開催された「シッティングバレーボール世界選手権」に、日本代表として出場しました。
世界の壁は高く、そして厚く、出場16ヶ国中16位という悔しい結果に終わったものの、「パリパラリンピックに向けた道が見えてきたかもしれない」と感じた佐々木が、世界選手権レポートをまとめました。
シッティングバレーボールとは、その名の通り「座ったまま(sitting)行うバレーボール」のこと。お尻を床につけた状態でスパイクやサーブを打ったり、トスを上げたり、移動したり…というスポーツ。普通のバレーボールと比べて、コートは一回り小さく、ネットの高さも1m15cm(男子用)となっている。パラリンピックの正式種目ではあるが、日本では障害のある・なしに関わらず、親しまれている。
出場16ヶ国中、16位(最下位)という悔しい結果。
4年に1度開催される世界選手権。今回は東京2020パラリンピックで銅メダルを獲得した強豪国のひとつである、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボで開催されました。
世界選手権は個人的には悔しい思い出がある大会で、オランダで開催された前回大会は、直前で代表から落選し、日本から応援していました。
今思えば、落選も致し方ない実力で、シッティングバレーボールに対する考え方も未熟だったので、至極当然の結果だったものの、「なぜ選ばれなかったんだ?」と荒んでいた記憶があります。
ただ、あの落選があったから、「絶対に巻き返す」という強い気持ちを抱くようになり、東京2020パラリンピックでの代表選出、そして今につながりました。チームメイトにもスタッフにも誰にも言いませんでしたが、サラエボ空港に降り立ったとき、涙がこぼれそうなくらい感慨深い想いに包まれました。
今回の世界選手権は、参加16ヶ国すべてに順位がつく試合方式。
16ヶ国が4グループに分かれた予選リーグ(総当たり)が行われ、その結果を踏まえて、順位決定トーナメントが行われます。勝ち続ければ決勝まで辿り着き、1度でも負ければ順位決定トーナメントへと移動していく流れです。
日本はアメリカ、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナの順番で予選リーグを戦いました。
日本は大会が始まる前は世界ランク11位でしたが、開催国として出場した東京2020パラリンピックのポイントが加算されてのランキングだった背景もあり、また、前回の世界選手権は、16ヶ国中15位だった結果を考えると、まずは1つ勝つことが目標でした。
東京2020パラリンピックからメンバーの入れ替わりもあり、国際大会が初めてのメンバーもいた今回の日本代表。私自身も、これまでの守備専門の「リベロ」からポジションが変わり、スパイクを打つことも、トスを上げることも求められる役割になりました。
身長が168cmの私は「世界でもっとも小さいプレーヤー」。
海外のプレーヤーは低くても180cmほどありますし、世界でもっとも高いプレーヤーは2m46cm。こんな「ちびっこ」が、世界の高さに通用するのか…通用したらヤバいな(わくわくするな)…という不安と期待をもって試合に臨みました。
最終戦のセルビア戦で1セット取れただけというとても悔しい結果となり、勝利をひとつもあげることなく、世界選手権は終わりました。世界の壁は高く、厚い。そんな気持ちが残る大会となりました。
※最終戦のセルビア戦は、ワンチャンスあったと思います。「勝ち方を知る」ことも必要です。
相手があることなので一概には言えませんが、個人的には世界の高さにも攻撃は通る、サーブは嫌らしく攻められるという気づきがあり、どれだけ「性格の悪いプレーヤーになれるか」が私にとっての「世界への挑戦権」だなと確信しました。正直なところ、自分に合っている、非常に相性の良い目標です(笑)。
そもそも日本は強い国ではありません。この現状を真摯に受け止め、チームとしての約束事を守り、状況判断力を磨き、自分の特徴を加える。高さも強さも見劣りする中で、組織力プラスアルファで戦っていく以外に強豪国と渡り合うことはできません。
今までは「これから先の道筋が見えない中での敗北」だったのが、今回は「何を拠り所にすれば勝負に持ち込めるか見えた敗北」でした。同じ負けでも「質が違う」感覚です。この収穫をどのように生かしていくか。その先に「パリパラリンピックへの切符」があると信じて、仕事とパラアスリートの二刀流をこれからも邁進していきたいと思います。
世界選手権のこぼれ話
ここからは、世界選手権のこぼれ話をいくつか紹介します。
アジアからの出場となったイラン、カザフスタン、日本はトランジット先のイスタンブールで合流し、仲良く同じ飛行機に乗ってサラエボ空港へと向かいました(ちなみにエジプトも同じ飛行機)。
「呉越同舟」という言葉もありますが、この3ヶ国は、パラリンピックのアジア予選やアジア大会などで顔を合わせることも多いので、ピリピリとした雰囲気になることは少なく、挨拶を交わしたり、一緒に写真を撮ったりと「久しぶり!元気だった?」というような感覚のほうが強いです。
とはいっても、イランは今回の世界選手権でも圧倒的な強さを見せたチャンピオンチームですし、カザフスタンはベスト8に入った強豪。この2ヶ国を追いかけない限り、パリパラリンピックは見えてきません。
ニコニコと笑顔でコミュニケーションを交わしつつも、その裏側ではバチバチに意識して「絶対負けない」という気持ちをもっています。
飛行機といえば、行きは羽田で7時間ほど待ったうえで、イスタンブールまで13時間半、トランジットで8時間、そしてサラエボまで2時間と、前後の移動時間なども含めると約1日半の大移動でした。サラエボまでの道程が(試合以上に)一番タフだったのは間違いありません。
会場と宿舎がとてつもなく近い大会だった今回の世界選手権。写真のホテルの6階の部屋に泊まり、1階のアリーナに試合用のコートと練習用のコートがありました。
「パラアスリート=障害者」であることは事実なので、私たちの多くは、義足、装具、車いす、杖など、様々な補助具を使って移動します。アスリートだからなのか、多少のバリアがあっても気にはしませんが、移動距離は短いほうがいいのは間違いありません。その点、忘れ物をしても、5分で部屋まで取りに行ける距離は非常に便利でした。
個人的に「選手村」の面白さは、施設内のありとあらゆる場所が「障害者だらけになるところ」であり「国際色豊かになるところ」です。
「ダイバーシティ&インクルージョン」の重要性がマネジメントや組織開発などで叫ばれて久しいですが、パラアスリートの選手村はその最先端のひとつ。障害者が障害者をサポートし、障害者が健常者をサポートする(言語面など)環境が「ふつう」なので、価値観がひっくり返ることもあるかもしれません。
私が初めて「選手村」に足を踏み入れたのは、2014年のアジア大会(韓国・仁川)でした。その中にいる半分以上が障害者という見慣れない環境に驚き、様々な宗教背景が横たわり、貧富の差を感じる部分が多分にあったことを今でも鮮明に覚えています。「ダイバーシティ」を字面だけで理解していたつもりになっていた、これまでの自分を見直すきっかけになりました。
クロージングセレモニーでは、セルビア・ルワンダ・アメリカ・カナダ・カザフスタンの選手やスタッフの方々に、瓶ビールをもって「かんぱーい!」と日本語で話しながら、ともに飲み、交流を深めつつ、写真を撮ってきました。
ルワンダ選手のカップル(おそらく)に突撃して、ちょっと邪魔しないでという目線(おそらく)を送られたり、試合中に仲良くなったセルビア選手と肩を組んで「ちっちゃいのにやるやん!」と言われたり(大会のカメラマンにも言われましたが)。
東京2020パラリンピックでは、コロナ禍によってこういった交流が失われてしまったので、各国の選手が一同に集まる機会は本当に久しぶりでした。
ただ、今までは大会に参加しても、サブメンバーだったことが多く、「自分がどこまでチームに貢献できたのか」という点を気にして、他国の選手に対して及び腰だったことは否めません。「どうせ自分が話しかけたって…」そんな気持ちでどこか冷めていました。
今回は他国の選手の輪に突撃できましたが、それは、自分の中で達成感と悔しさがいいバランスで同居していたことの裏返しかもしれません。
参加16ヶ国中、最下位という結果は悔しいものですが、それが今の実力です。
1週間の大会の中で、どうすれば世界に届くのか、少しだけ光が見えました。簡単な道ではありませんが、光が見えていることはいいことです。そこまで遠くはないかもしれない、という実感の中で、また日の丸を背負って世界と戦えるように、仕事とパラアスリートの二刀流を貫いていきたいと思います。
世界選手権、応援いただいた皆さま、ありがとうございました!引き続き、ご支援よろしくお願いいたします。
※代表の曽根原(左)に報告&お土産を進呈。時差ボケで顔の疲れが隠せない佐々木(右)。